日本の暑い夏には木綿や麻の着物が最適!

日本の暑い夏には木綿や麻の着物が最適!

春・夏・秋・冬と四季がはっきりしている日本では、季節に合わせて身につけるものが変わる衣更えの習慣があります。季節に応じて、着物の仕立て方や素材を変えたり、色や文様にこだわったりという知恵や工夫は、着物ならではの楽しみだといえます。

夏に選びたい着物として、木綿や麻など透け感のある素材で見た目にも涼しいものを選びましょう。また、湿気が多いのが日本の夏の特徴でもありますので、肌触りが良いものを最優先させたいものです。

綿の木は開花後に結実し、そののち実があふれ出ます。これを綿花(コットンボール)と言います。この綿花から紡ぎ上げた糸で織られた布が木綿です。柔らかで温かく、染着性にも優れた木綿は、江戸時代には全国に普及しました。

吸水性、弾力性、伸縮性、保湿性に富むなど、多くの利点があります。

麻は、水に強く、通気性、吸水性、速乾性に優れ、独特の張りがあり、さらりとした肌触りが特徴です。現在の着物に用いられる麻は、ほとんどが苧麻かラミー糸などからできています。天然素材の中で最も強く絹のような光沢を持った苧麻は、主に上布に用いられます。

苧麻の変種で、茎も葉も苧麻より大きいラミーは機械紡績されて糸になります。

木綿の着物

肌に添う風合いと素朴な色柄の着物

木綿の着物は、綿花を糸状に手紡ぎや紡績した糸で作られます。木綿が日本に伝来したのは8世紀末のことになります。インド人によって三河に種がもたらされましたが、栽培技術が伴わず絶滅することになります。そして室町時代に再び伝来し、その後定着しました。

絹のほかには、太布(樹皮など植物繊維で織った布)や麻しかなかった日本では、木綿の柔らかい着心地と染色しやすさから、瞬く間に広がり、江戸時代には全国に普及しました。麻に代わって浴衣や普段着に用いられ、数々の産地が生まれました。

普及した当初は縞や格子がほとんどでしたが、江戸時代後期になると、絣柄も織られるようになり、庶民の衣生活はいっそう豊かになりました。

絣は先染め織物の模様表現の一つです。糸の一部を地色に染まらないように括って、模様を織り上げます。現在は、紬にも盛んに利用されていますが、もともとは、木綿の模様として発達しました。

木綿の着物は、一時絹織物に押されて低迷した時期もありましたが、現在は肌に添う風合いと、素朴な色柄、そして手軽な価格が好まれ、愛好する人も増えています。

現在、着尺用の木綿織りは弓浜絣、久留米絣、広瀬絣、備後絣などがあり、染め下地としては、主に浴衣に用いられています。

丹波布

丹波布

茶と藍を組み合わせ格子に

兵庫県丹波市青垣町佐治地域を中心に織られている木綿織物です。それまで佐治縞貫、佐治木綿と呼ばれていた厚手の木綿織物を、民芸運動の創始者である柳宗悦が丹後布と名付けました。そして昭和32年に国の無形文化財に指定されました。

丹波市の色柄は、主に茶と藍を組み合わせ格子柄に織られています。藍は紺屋に依頼し、茶は地元で採れる榛の木や夜叉五倍子(やしゃぶし)、栗の皮などを用いて、濃淡に染め分けます。

松阪木綿

松阪木綿

縞柄のツールはベトナムの布

伊勢松阪地方で織られている木綿織物になります。この地方では7世紀頃から、伊勢神宮にお供えする麻と絹の紡織技術が伝わっていて、伊勢平野での木綿の栽培が普及するにつれて、木綿織物の生産地に発展しました。縞といえば横縞が多かった中で、松阪木綿の藍の縦縞は、江戸庶民の人気を博したと言われています。

この縞柄のルーツは、安南(現在のベトナム)の柳条布と言われます。松阪商人が異国風な柄を日本風にアレンジしたのが最初です。

伊勢木綿

伊勢木綿

上質な単糸を藍で染める

三重県の伊勢平野で織られている木綿織物の総称になります。地区により桑名縞、富田木綿、白子木綿、神戸木綿、阿濃津木綿などと呼ばれています。

伊勢木綿は単糸(撚り合わせたり、引きそろえたりしていない糸)というベーシックな糸を使用しています。上質な単糸を藍で染め、織られた布は肌触りが柔らかく、保湿性や通気性の良いことで知られています。

弓浜絣

弓浜絣

緯糸だけで表す絵模様

鳥取県米子市や境港市、西伯郡淀江町などで織られている絵絣で、浜絣とも呼ばれています。

弓浜絣は緯糸だけで絵模様を表しますが、その技法は備後(広島)から伝えられたと言われます。絣の技法は、緯糸の藍色に種糸を使います。種糸とは、綿糸を張った台に絣模様の型紙を置き、墨を含ませた筆で模様を写し取ったものになります。種糸の印を目安に、糸を括ります。絣括りした糸は、藍や化学染料で染めます。

倉吉絣

倉吉絣

日本の伝統柄を織り込んだ絵絣

鳥取県倉吉市を中心に織られている木綿の紺絣の一つです。幕末の頃に、久留米かすりや弓浜絣の技法が伝わって生産が始まったと言われています。

初期の柄は縦絣や縞絣でしたが、明治中頃から複雑な経緯絣が織られるようになりました。模様は紗綾形、亀甲繋ぎ、青海波、麻の葉、松皮菱、向い鶴菱など日本の伝統的な柄を織り込んだ絵絣です。大正初期頃から次第に生産量が減り、近年になって本格的な復興が試みられています。

広瀬絣

広瀬絣

大きな絣柄に特徴

島根県安来市広瀬町などで織られている絵絣です。絵絣が精巧な広瀬絣は、大きな絣柄に特徴があります。織り上げられた絣柄は、絣足と呼ばれるずれが少なく、幾何文と絵柄が一幅に織られたものが目立ち、風雅な雰囲気をもった藍絣です。

松竹梅、鶴亀などめでたい柄も多く見られ、また絣を作る際に、山陰の絣の中で広瀬絣だけが種糸を作らず、型紙を作って、緯糸に墨付けをします。

出雲織

出雲織

シンプルな柄付けが人気

島根県安来市を中心に織られている木綿織物です。山陰地方は絵絣の宝庫です。出雲織はそうした絣織りから発展した織物で、技法は江戸時代に確立したと言われています。

糸紡ぎ、種糸づくり、整経、糸染め、手織りと伝統的な工程と技を大切にしながら、現在の出雲織には手作りならではの独創性が、感じられます。個性的な感覚で配された、シンプルな柄付けも人気です。微妙な藍の色合いにも魅力があります。

備後絣

備後絣

素朴な模様と手頃な価格が魅力

広島県福山市周辺で織られている木綿絣です。江戸後期から織物が作られるようになり、芦品郡(現福山市)の富田久三郎という人が、竹の皮巻きで防染して括る絣糸の製法を開発し、井桁絣を織ったのが備後絣の始まりです。

明治半ばには機械括りが考案され、絵絣も織るようになりました。最初は手織りで、足踏み機、動力機と時代ごとに織り続けられ、昭和30年代には日本最大の絣産地になりました。現在も伝統的な備後絣が織られています。

伊予絣

伊予絣

多彩な色絣と藍と白の絣

伊予(愛媛県)の松山は、久留米(福岡)、備後(広島)と並ぶ、日本三大絣の産地です。江戸時代に自家用に木綿織物が織られていましたが、藍の無地か縞、格子で、そこに絣柄が加わったのは、200年ほど前のことになります。鍵谷カナという女性の工夫によるものだと言われています。

多彩な色絣を織りだした機械織りのほかに、天然藍を使い、手機で織った、藍地に白のすっきりとした伊予絣も生産されています。

久留米絣

久留米絣

縦緯糸に絣糸を使う縦緯絣

木綿絣といえば、久留米絣と言われるほど有名なこの絣は、江戸時代後半に、井上伝という12歳の少女によって考案されました。着古した藍木綿の一部から、着想を得たと言われています。

昭和32年に重要無形文化財に指定された久留米絣は、経糸と緯糸の両方に絣糸を使う経緯絣です。独特の藍色は、阿波藍を用いて甕で藍を建てて、糸を染めます。そして絣柄を合わせて、高機で織り上げます。

薩摩絣

薩摩絣

紺色が美しい紺薩摩、白薩摩

木綿の絣織物で、もともとは琉球(沖縄)で織られていました。薩摩藩が琉球を侵略し、租税として納めさせた織物が、薩摩藩から市場に出されたため、この名がつきました。

木綿の藍地に白い絣を織りだしたものを紺薩摩、白地に藍で絣を織りだしたものを白薩摩とよび、いずれも山藍(琉球藍)で染めます。現在は絹糸のような細い糸を使用し、大島紬のような細かい柄を織りだした、綿絣の高級品になりました。

麻の着物

日本の夏には欠かせない涼をよぶ素材

麻の着物や帯は、苧麻を績んだ糸(細かく裂いて長くつなぎ、撚り合わせたもの)やラミー糸(太く長いもの)を用いて作られます。それぞれの糸の太さ(番手)や品質などにより使用目的が分かれます。

苧麻はイラクサ科の多年草で、その繊維は天然繊維の中で、もっとも強く、絹のような光沢をもっています。この麻を用いた平織りの布は、古来献上布だったものが多いため、上布と呼ばれています。

越後上布

越後上布

歴史ある越後の麻織物

新潟県南魚沼市で織られている平織りの麻織物です。品質が向上して、有名になったのは江戸時代で、越後は日本一の麻織物産地になりました。

現在越後上布には3種類あります。重要無形文化財の指定(糸の原料は苧麻、糸は手積み、絣は手くびり、地機で織る、白地のものは雪晒しを行う)を受けたもの、経糸にラミー糸を用いて高機で織る、本製越後上布、経糸、緯糸ともにラミー糸を用いた、単に越後上布と称されるものです。

小千谷縮

小千谷縮

越後上布に縮を加えて

新潟県小千谷市を中心に織られている麻縮で、重要無形文化財にも指定されています。江戸時代初期、播磨国明石の堀次郎将俊が、表面が平らな越後上布に、緯糸に強撚糸を用いる、明石紬の技法を加えて、しぼのある麻縮を織りだしたのが、始まりと言われます。

小千谷縮は、越後上布同様、苧麻の手積み糸を地機で織りますが、生産の中心は、ラミー糸を用いたもので、伝統的工芸品に指定されています。

宮古上布

宮古上布

盛夏用の高級着尺

沖縄の宮古島で織られている麻織物です。紺または白の細やかな絣で、その布は薄いのに耐久性に優れ、さらりとした肌触りが特徴です。島で栽培栽培されている苧麻の茎から、指先で繊維を裂いて、1本の糸にする(苧積み)のは、越後上布と同じです。

絣糸は大島紬同様に締機(しめばた)を使い、琉球藍で繰り返し染めます。細かい絣柄を手織りした後、砧打ちを行い、ようやく蠟を引いたような、つやと張りのある宮古上布が生まれます。

能登上布

能登上布

絣柄は櫛押し捺染や板締めなどの技法で

石川県鹿島郡中能登町を中心に生産されている、平織りの麻織物です。能登で本格的に麻織物の生産が始まり、能登上布と呼ばれるようになったのは、明治時代末期のことです。

絣技法は櫛押し捺染(手捺染)や板締めなどの、技術と手間のいる伝統的な技法です。櫛押し捺染は約1200本の糸を幅20センチの枠に並べ、その上から染料をつけた櫛形の板を押しつけて絣糸を染める方法です。糸は主にラミー糸が使われています。

近江上布

近江上布

地機で織る生平、ラミー糸を使う絣

滋賀県の湖東地方で織られる麻織物です。近江上布の名は、近江商人によって全国に知られるようになりました。

上布の技術は、鎌倉時代に京都から移り住んだ職人によって伝えられ、その後改良が重ねられて、現在のような独特な風合いをもつ、麻織物になりました。この地方の気候風土が、乾燥すると切れやすい麻の性質に合っていたのかもしれません。

近江上布には経緯糸ともに苧麻を用い、漂白せずに織り上げた生平と、主にラミー糸を用いた絣があります。

八重山上布

八重山上布

琉球絣を藍や茶、赤褐色で

石垣島を中心とした、八重山諸島で織られている麻織物で、白地を基調に琉球絣を藍や茶、赤褐色で織りだした八重山上布になります。このほか、白地のほかに白地に茶色だけの、涼やかな絣柄の赤縞上布と呼ばれるものもあります。

苧麻の手積み糸を緯糸に用い、ラミー糸を経糸に用います。絣は手くびりで、紅露(ヤマイモ科の植物の根茎)や琉球藍で摺り込み捺染をします。17世紀から始まった織物ですが、第2次世界大戦で中断し、その後復活して伝統的工芸品に指定されました。